字体:大 中 小
护眼
关灯
上一章
目录
下一页
小说的资料家纹篇 (第1/3页)
见闻诸家纹(注:又名东山殿御纹帐。室町八代将军足利义政撰) 其之壱: 二引両、五七桐 源姓。八幡太郎。童名不动丸。或源太。従四位下。陆奥守。号金伽罗殿。镇守府将军。後冷泉院依勅。父頼义随兵。奥州之****贞任诛。其弟宗任为降人。攻戦间九ケ年。其後藤武衡家衡与攻戦事三ケ年。康平治暦。其间十二年也。合戦讨胜。首级得一万五千余天喜中上洛。为褒美依勅命。五七桐纹免许。故当家御纹。五七桐。二引両云々。桐者根本安家之纹也。八幡殿贞任御退治以後。御上洛之时。依被望申下赐此桐纹云々。 其之弐 一姓 吉良。义氏之次男义継。号东条。三男长氏。号西条。 渋川。泰氏之次男义顕之孙。 石桥。泰氏の嫡流。自五世孙和义号石桥。 以上三家。号下马衆。 斯波。泰氏孙家氏次男宗家。号斯波。 细川。义実次男义季。号细川。 畠山。义兼嫡子义纯。号畠山。义兼者义清弟也。 以上三管领也。 上野。泰氏四男义有。号上野。 一色。泰氏五男宫内卿法印公深。一色之祖也。 山名。重国嫡男重村。号山名。 新田。重国次男义俊。大嶋。鸟山祖也。三男义兼。号新田。 大舘。义兼四世孙基氏弟家氏。号大舘。 仁木。义実嫡子実国号仁木。 今川。吉良西条长氏次男国氏。号今川。 桃井。义兼三男义胤。号桃井。此义兼者非新田义兼。矢田判官义清之舎弟也。 吉见。义朝五男范頼子法师范円。吉见祖。 其之参 桔梗。但幕者无纹水色。 土岐。頼光四世孙国房之末。国房者頼政之叔父也。童名文珠丸。正四位下。摂津守。镇守府将军。土岐氏。本出干源姓。故其为纹者。一変白色。乃以为水色。昔时唯用焉。是又所以贵其先也。後也有野戦时。取桔梗花挿干其胄以大得利窝矣、因为之例。逐置之水色之中。以为之定纹也。然不记其年月又其不知何人始为之也。源頼光为纹。末裔用之。故不得坚取其説。暂依其所闻。以书写而已。 松皮菱 武田。頼义男新罗三郎义光の末孙也。従四位下。伊予守镇守府将军。童名千手丸。永承五年。後冷泉院依勅。奥州****頼时攻。是时诣住吉社。新平复夷贼。干时有神托。赐旗一流。铠一领。昔神功皇后征三韩用也。神功皇后铠脇楯者。住吉之御子香良大明神之铠袖也。此裙之纹。割菱也。三韩皈国後。镇座於摂津国住吉。以奉纳干寳殿矣。今依霊神之感応。干源頼义赐之。可谓希代也。頼义三男新罗三郎义光虽为季子。依父钟爱伝之。即旗楯无是也。旗者白地无纹。铠有松皮菱。故义光末裔当家为纹。 其之四 唐花菱 田大膳大夫贤信 类従本では割菱も并载されている。(注:此即着名的武田菱) 云に左三つ巴。 奉公一番衆曽我 二つ引両に左三つ巴 具平源氏。赤松兵部少辅政则 四つ目结 宇多源氏。佐々木大膳入道生観(注:京极氏、六角氏之祖) 七宝に花菱 云州佐々木凡此轮违也。塩冶 扬羽蝶 伊势平氏。関 (注:其后皆样式,计四十七张,九十四页。其书极简,其事亦远,故略,改列江户之式) 【三ッ叶葵】 本来は京都贺茂神社の神纹。『见闻诸家纹』では、丹波国船井郡の豪族西田氏が用いている。室町幕府八代将军のころには、まだ徳川氏の家纹として表われていない。西田氏の场合は、古く丹波地方に贺茂信仰が萌していたことによるらしい。デザインはリアルな二叶立葵。三河地方の土豪松平、伊奈氏など周辺豪族をふくめて家纹の発达をみるのは、加茂郡そのものが奈良朝期すでに神戸があったからで、贺茂信仰が古くから盛んであったことによる。つまり、氏子豪族の表示。徳川家特有纹となるのは、庆长十六年以降のこと。 【抱き稲】 『长仓追罚记』によると、熊野の神官铃木氏が用いている。宇多源氏を称した亀井氏(津和野藩主家)は、纪州熊野の穂积氏の出自よいわれる。 【平井桁】 『文正记』には甲斐氏がみえ、『见闻诸家纹』では石井长井氏がみえる。一般に広く知られているのは、远江から出て彦根藩主となった井伊氏。いずれにしても井の字を、书き文字か図案化したもので、指示的性格をもつ。戦场で旗指物にした场合、一目了然で分かりやすかったのであろう。 【繋ぎ马】 『见闻诸家纹』では、贽川氏や平野氏の「放れ马」がみえる。平将门の後裔とする相马氏は、下総の相马から出て陆奥の相马郡へ本拠を移し、马の饲育放牧を司った。「繋ぎ马」を家纹に用いている。 【梅鉢】 前田家一族の纹章として広く知られている。素型は六曜星纹から天神纹へ変わり、利家の晩年顷に轴付きの梅鉢纹が生まれている。三代利常に及んで、本支を明らかにするため剣梅鉢、丁字梅鉢などと多様化した。大和の筒井氏も天神信仰により梅鉢纹を使用。 【丸に三つ鳞】 鎌仓幕府执事権北条氏の家纹として有名。戦国以前、早くも『蒙古袭来絵词』のなかに鳞纹は现われている。前北条氏の灭亡後、伊势新九郎が小田原に入り、北条早云を名乗る。以後、後北条氏一族の家纹として袭用、さらに拡充をみる。 【立ち沢泻】 『见闻诸家纹』には越中松
上一章
目录
下一页